just arrived

あじわう

2023年の1789に寄せて〈2〉作品と役柄と関係性と

書かざるを得ない後編。(前編はこちら 

2023年の1789に寄せて〈1〉歴史の渦の中に - just arrived)


星組の1789のお役たちについて。

kageki.hankyu.co.jp

 

結論、ロナンとデムーラン、双方が役(の距離感)を掴みきれていなかったのでは? という感想であるが、そんなの聞きたくないよという方は回れ右でお願いしたい。もちろん傷つける意図は全くない。

 

 


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7月に公演を拝見した時、個人個人が本当に素晴らしかった、というのが第一の感想。なので、なにかが「足りなかった」というのも違う気がしている。

このちょっとムズムズする感覚は、いわゆる月組のときと構造が変わって、オランプちゃんとロナンくんの恋物語ベース(まさにバスティーユの恋人!)になった所以ではないかと考えていた。

 

で、色々経て、思うのだ。

※代役公演もその後の礼さん復活公演も拝見できていない。7月の後は千秋楽の配信のみの戯言。(ことごとく読む気失せる書き方だな)

 

ロナンとデムーランの関係性

つまるところ、瀬央さんがデムーランだったら礼さんのロナンは違ったんだろうなと、そんなことを思ったのだった。そして、それは当たり前なわけだが、そういうところをお芝居で受け取ったのだと理解した。

配役妄想時に、漠然とありちゃんのアルトワ伯を観たいと書いていたのだが、こういうことだったんだと今更自分の心の奥底の欲望というか、感覚的なものに気付かされた。でもまぁ配さない小池先生は正しいのだと思う。そうだよね、アルトワ、なんていうか、難しいし。大蛇丸再びになっても困るし。(今公演は、瀬央さんが専科にゆかれる意味が幾重にも突きつけられた公演でもあったなぁ)


本当にいつでもどこでも上手いもう一杯!!!という言葉がでちゃう礼さんに対してこんな気持ちになった自分がもはや恐ろしいのだが、それでも、ロナンは”ニンじゃなかった”と思った。

だって、礼さんのロナンは悲しんでいる。恋の喜び愛の情熱よりもずっと深く悲しんでて、抱きしめたくなる。(ありちゃんもカフェブレで礼さんロナンがかわいくて、と仰ってました。あれですよあれ)

でもロナンは、本来とても強いはず。
革命家達を魅了し、翻弄し、貴族には目をつけられ、敵対視される存在。
その圧倒的になるはずの存在感を、技量をもって繊細に表現されていたのかもしれないと思うと、やはりフレンチロックミュージカルじゃない。加えて、そこの違和感への助けとして、初演が真咲さんロナンだったという事実。

なんかよく分からないけど、目立つ。気に食わない。俺たちとは違うけど何かおもしれぇやつ。そんな吸引力がまさに物語の主人公として必要だし、何より有無を言わせずに「強い」。最期は迎えるけれど、それでも圧倒的な生命力。めちゃ適任だったんだなぁ。役作りはさておき(あっ……)

真咲さんが観劇後に当時を振り返る記載を残して下さっていた。一市民が主役になることの意味。当時から向き合われていたことだったのだなとしみじみ読んだ。

その方向性として、礼さんの選ばれた道は、一市民としての主役の物語から、団体芸への昇華だと受け取ったけれど、私はあまり腹落ちしなかったということなのかもしれない。加えて、私が、礼さんが圧倒的な実力の上に大変繊細な表現をされる方という認識でいることで、多少なりとも歪んでいる自覚はある。

 

ありちゃんには、何と言うか、伸びやかな持ち味、役に”染まらない”部分があると常々思っている。それが爆発したのが「ブエノスアイレスの風」だったんだとも感じている。※以下参照

nonbach.hatenablog.com

 

なので、今回も、ロナンを焚き付け、革命を動かす存在としてのデムーランではなかった。
しかし、デムーランは本来ロナンと革命家達の架け橋。
初演のかちゃさんがものすごくインテリな印象だったのと、こまさんダントンが真咲さんの同期だったことで、デムーランの芝居上の役割を二分していたのかも、と振り返る。

ありちゃんデムーランからは無垢さが強く、ブルジョワジーのすっとぼけ感が光っていた。印刷所の場面、持てる者の無邪気さって嫌ねと感じたこと。これこそ桜嵐記で上田先生があてがいてくれてしまった暁千星さんなんだよな〜〜くっそ〜〜と思ってしまうのだけれど。(いつかBADDY・リターンズを書かせる位の大物スターになってむしろ先生の鼻をあかしてほしいという穿った見方をしている私の話もしたい)

そんなありちゃんの演じるデムーランは、しっかり者のリュシルに愛され、史実のちょっとおいおいな面なんかが見えたのはとても面白かったのだけれど、一方で、ロナンが歩み寄れるスペースがなさそうだった。

もはや物語の主役の持ち歌的味わいのある武器をとれの歌の後、ロナンはデムーランに駆け寄るのだが(ちなみにパレ・ロワイヤルの後もロナンはデムーラン!と言いながら駆け寄る)、この2人の関係性で、本当にそんなことするのか? と思わせてしまう「距離感」があったように思えるのだ。

加えて、極美ロベピはずっと恐怖政治を見据えているし(彼女の代表的な役になるのでは。シン・キワミ始動)、現実のシビアさを象徴的に示していたし。それならば、礼さんロナンには、ぴーちゃんダントンが大味に食らいつく方がしっくりくる印象で……とここまで書いて、気づくのだ。

ありちゃんがまだ星組に組替えになって1年経ったばかりなのだということに。

 

新しい風を吹かせる存在

ふと思い出されたのが、在りし日の明日海りおさんの姿。Mr.Swing!というショーには、花組デビューを飾るみりおさんに「新入りです!」と言わせる場面があったな、なんてことを突然に。


そうか、ロナンは外野からやってきた台風みたいな存在なのだと気づいたのだった。(そもそも架空の人物だし)

つまるところ、改めて代役公演の配役を見てみると、架け橋になるデムーランにロナンの同期となる(しかも安定の)おぴー様が配されていた。これは彼女に本公演でも架け橋としての役割を任せてみたかったと思った私にとって、念願叶った配役でしかなかった。

 

個人的な見方だけれど、いくら群衆芝居だろうと、ロナンは主人公なので、ある意味浮いてた方が観やすいのだ。

彼が何を考え、どのように感じ、変化していったのか。

その点、初演は真咲さんのご自身のスターとしての在り方に加え、愛希れいかさん、ちゃぴこさん(私は彼女をこう呼ぶ)と良い意味で対峙する羽目になり、ある意味真の孤独なわけで。

改めて、代役公演の感想を拝見して、なるほどな……と思った訳である。(意図的にはしょる)(だって私は観ていないから何も言えない)

ただ、ブエノスアイレスの風で知的な印象を受けたこと、エリザベートで非常に「(他人が)分かりやすい」役作りをされていたこと、グランドホテルでのラファエラが比して陰で内向的だったことなど、彼女の男役として育まれてきた芸風や味など、色んなものが革新的に表出された時間だったのかもしれない、と私は解釈した。

 

今回の曲の選択と、フェルゼンとマリーの見え方

「愛し合う自由」。めちゃくちゃ伸びやかで良い曲だからこそ、なんであえてのロナンの新曲をあれにしたんだろうと不完全燃焼だった。なんか同じようなメッセージの歌ばかり歌わせるから、ロナンが恋愛のことばっかり考えているように見えるのが嫌だった。

革命に生きた一人の人間なのに。

身分違いの恋に悲しむのは一つの要素であって、人としての生き方の選択を迫られた生き様を見に行ったはずなのになという肩透かし感がこれでもかと用意されていた印象だった。

反対に、「武器を取れ」が、スカーレットピンパーネルで言うところの「目の前の君(she was there)」的な美味しさを見せていて、それ主役じゃん……となった私は贔屓目じゃないと思うのだ。なんか全体的に曲のバランスが悪くなった気がしたのだった。

ま、一番言いたいのは、どうして「世界の終わりが来ても」を歌う4人をカットしたんだ!くそー! てこと。

番手、わかるよ。尺も分かるけど。フェルゼンに少しでも見せ場を残して欲しかった! 

なんだけれど、そこで存在感を、爪痕を、確実に残された天飛フェルゼンさま。SUKI。(突然の告白)

あんなに見せ場カットされたのに一番かっこいいんだが、、、と目がハートになったフェルゼン。絶対何かあったら全てを賭けてくれる人だなと思わせてくれた。

くらっちアントワネットが東宝のお花様の匂いも感じられる、本当に一人の少女がそこにいたので、私を愛していないんだわの台詞も浮かないし、最後の別れの場面も、すれ違うけれど、この愛は残る〜~(無理矢理歌わせる)という見え方になって、二人の結末までの流れに終始心を動かされてしまって、並びも存在感のバランスもとても好きだった。

一方で、初演から見せ方が変わって、娘役が演じる1789のマリーアントワネットだったなと思わされたのも事実。隅々まで恋愛脳で、完全に相手に捧げる居方に見えたのが、くらっちが素晴らしかった分、娘役の可能性をもっと感じたいと思った瞬間でもあった。バスティーユの恋人としては多分正解なんだけれど、難しい。

 

娘役の役柄あれこれ

一方で、今回存在感が(当社比)増したリュシルちゃんである。詩ちゃんがまた可愛くて強くて可愛いので、デムちゃん羨ましいね。史実を彷彿とさせる並びは初めてと思えないしっくりくる愛らしさ。

詩ちゃん、あんなに細いのに持ち味強強(愛してる元月娘の系譜)なので、とても生き生きしていて歌も伸びやかで、頼もしいの一言。次のバウヒロインも楽しみ。天飛くんとの並び……(※今回のかのんくん素晴らしくてこれからの人生の楽しみを見出した感あるのヤバイ)

ソレーヌの小桜ほのかさんも良かった。毎回ゆみこさん(彩吹真央さん)を思い出すお顔なのだが(笑)、持ち味も柔らかいところがまた良くて、リュシルとの対比が自然と生まれるお二人がいるのは心強いなと。次、マリア侯爵夫人だものね。マリアの存在で作品がグッと変わる作品がミーマイだと思っているので、こちらも楽しみ。

 

そして、舞空瞳さん。ひっとんのオランプは、まず射撃の訓練受けてそうな筋の良さ!(そこ)真面目につなげると、王太子や王妃への忠誠心やひたむきさ。ひっとんらしくストレートで、変化球きたら避けられるのにあえてぶつかりに行くぞ!ぐらいのガッツがあったなと。

悲しみの淵にいる礼さんロナンを掬い上げるような熱さのあるオランプで、私の中のことなこって割とこんな感じのイメージなので、安定・信頼のカップルっぷりでした。でも、助けてくれた御礼はただのセクハラだから。これは演出家よ、解釈の余白を作るとかしてくれ。(結構演者が頑張っている印象はあるものの演者に頼っちゃダメ。逃げられないんだから)

 

貴族の人間模様 

アルトワって難しいね、と今回気付かされたのが瀬央さんの力。

瀬央さんのアルトワは、頭から足の爪まで真の悪役で、オランプへ微塵もラブが無くて(びっくり~!)、本当に悪の極みみたいなことしか考えていない人だった。

貴族側のバランスの悪さを象徴する存在で、こりゃ破滅するわというのを担う人なんだなと改めて思ったし、一人生きているベクトルが違い過ぎて、ブルボン王朝の不穏な空気を一身に纏っていた。媚薬を持ち出すあたりお色気に走ることもできるはずなのに、それを全くしなかった。そこが結構新解釈で、面白かった。
(美弥ちゃん、あーささん。お二人とも美形そのもののお顔立ちということもあるが、色気が漏れに漏れる作りだったので、瀬央さんのど真ん中から悪を歩んでくる人物とは全然違うお人だった)

 

「許されぬ愛」が本来のオランプの独唱になったことで、オランプの人生の揺れがこの作品のもう一つの軸になるはずだった。

しかし、私が今回もあまりにフェルマリが好きすぎたのか、宝塚に男役偏重があるからなのか。いかんせん、”ロナンの想い人”というところから抜け出せなかった。マリーとオランプの二人の場面、もっと泣きたかった。月組ではあんなにじーんと胸を熱くした場面だったのに。くやしい。くやしい。ひっとんの力を持ってしても難しいのであれば、そこはもう少しうまく作れないのかなあと、もやった。

 

 

で、結局のところ

「全体的なバランスがどことなく悪いように見える説」の正体は、やはりロナンとデムーランの関係性に帰結するのだというのが私の中の結論。

もしかしたら本来の役として生きるそれは、少なくとも本役たちの中にはどこにもいなかったのかもしれない。

それなのに、そんな配役という代物が二転三転してしまった(真の変化を遂げた)のは歴史的財産なんだと思う。


私からは言えることは一つ。

目の当たりにした方々へ。起きて、語っておくれ、あの日々のことを!(待ってます)(言うのは易し)

 

革命を知る前にはもう戻れない:余談

2017年の雪組公演ひかりふる路を観た私たちは、その前にはもう戻れない。

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1789初演からの月日の中で、この作品があったことは生田先生の揺るがない功績。

加えて、小池先生のプレッシャーの中で磨かれた極美くんの美しさと役作りのおかげで、また一段と(ファンの)ロベスピエールへの解像度が高まってしまった。

頭の悪いキャラ萌えをすると、極美くんの神経質そうな立ち居振る舞いと、暁デムーランのぽやんとした僕ちゃん然が、のちのち処刑場で邂逅すると思うと、ニヤニヤしてしまいますね。(あ、悪趣味)
ロベスピエールは、物語よろしく行動も一段と派手なダントン君を目の敵にして処刑場送りにしますが、デムーラン君は結局のところ巻き添えになるのですよね。ロベスピエールの目線からすると、仮に生かしたかったとしても”生かしておけなかった”。
ロベスピエール自身の最期を迎えるまで、サンジュストを含めた革命の人間模様を改めて見つめると、この人たちについて色々と書きたくなるな……と思いながら筆をおく。