just arrived

あじわう

薄いベールは剥がされて VIOLETOPIAで夢は見られるか

例えば湖の表面に氷の薄膜が張るように、思惑が重ねられて創られた作品だと感じた。言い換えればそういう意図のようなものが透けて見えるとも言える。

この作品の在り方について、私は好きだと思った。
残像がいつまでもたゆたうが、明瞭ではない。くぐもっていて陰りさえ感じられる世界なのに、気付けば紡がれたメッセージはひどくポジティブで直情的。むしろある意味ポジティブな気さえしてくる。
どうにかして残したい。壊してはならない。
そんな切迫感を客席から客観的に捉えられる点で、なんだかひどく安心してしまった。
加えて言葉遊びがちりばめられた歌詞のこだわり含めて、第一印象とは異なり案外分かりやすい。そんな作品に今まで出会ってきたようで、そうではなかったかもしれない。けれど残された感情は郷愁なんだと思う。

 

と前置きは月並みに尽きないわけで。そんな泡沫の女王の話は後にして、思い出しながら記していこうと思う。

kageki.hankyu.co.jp

RRRのタイトルが長すぎてショーの名前が表示されないのはご愛敬。

珍しく今回は順を追って綴ってみる。
しかし全編通して既存の音楽が多用されていて調べているだけでも楽しいショーだ。


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型破りなのか型通りなのか、観る人によって変わるのか

上手から現れるボロキレを纏ったトップスター(※肩書きのほう)。
カジモドかと思った。あらやだ、礼さんのノートルダム観たくなっちゃう。

菫の花に触れて廃墟が劇場に変わる。すると現れるフェアリーに粉薬※をかけられて観ている私たちはどうなるのか。
彼女らはティンカーベルよりもっとおそろしいということだ。
※粉薬やらシンドローム(症候群)やら、病人扱いしてくるなと思うが、ある意味正気じゃない熱狂を、型でいうところの中詰後の群舞場面でぶっこんでくるのだからすさまじい一貫性。

 

(役割でもある)トップスターがプロローグ最後で歌う時、ここもいわゆる宝塚の見慣れた型的に「登場して歌い出す」のではなく、冒頭が録音の声で、声の主の姿は見えない。実はご本人は悠々本舞台を歩いて頂きに向かって来ているのに、客席のこちら側を内心ざわざわさせるのがあざとい。

倒れていた椅子が幕開きに座れるように正されるモチーフも徹底している。これ、GOATで月城さんが座ってた椅子にちと似てるなぁと思ってマニアックに楽しんでいた。

続いて、トップコンビのla gadoue。ぬかるみでイチャイチャしてる。ジャガービートでもこんな感じだったね。すぐ私たち可愛くなっちゃうから・・・とご本人たちも公言している(※GRAPH参照/意訳)このコンビ、安定感あるのにまだまだフレッシュで良いなあ。戦略含めて大事。
しかしひっとん何着ても似合うんだなぁと思う凄い形のドレス。ダルマなんだね。こちらもGRAPHで紹介されていたが、蔦か・・・私は植物というより鳥のようだと思って観ていた。

 

夢を見て何が悪い?

裏方青年くんのツナギは、大きい人がさらに大きくみえてテディベアみたいで可愛いというのがよくわかる衣装。しかし、せっかくの暁さん2番手お初なショーのメイン場面(長)なのに、振付と設定がイマイチピンとこない。ありちゃんの表情芸と天華さんのアドリブを楽しむ一時。
敗因としてはおそらく天華&天飛との三角関係で進めようとする点か。スター制度の敗北とも。ヒロイン含めてどこを見たらよいのか視点が定まらなかった。

しかし今回で退団のぴーちゃんは天飛くんと一緒にいる公演だな。今回で芝居の柱がまた一人抜けてしまうと思うと天飛くんへの期待が高まらざるを得ない。頼もしいからこそ頼んだよ(何がとは言わない)(ショーの話から飛んでるぞ)

さてここではA Night Like Thisの後、バレエ音楽になり損ねたLaValseを使っている。転調続きでの幕切れを夢オチにしているわけだが、バレエダンサーでもあられたありちゃんへのメッセージやいかに。……深読みしすぎか。
あちこちで騒がれていると思うが、暁青年のラスト、輝かんばかりのキュートなウィンクは絶対取りこぼしたくなくてオペラグラスをもつ手が震える。はい可愛い(思い出し笑み)。

 

何も無かったかのように旅は続く

お次はサーカス。平沢進のパレードだが、小桜ほのか劇場へようこそ場面と私は思っている。
彼女の声ひとつで世界観が体現されている。声色も存在感も素晴らしい。彼女もまた星組を分厚くされている方だなぁとしみじみ。長くいてほしいけれども。
やたら等身バランスが良いサーカスの団長はムチを持たない。つくづくありちゃんはムチに御縁がある人生。

さて、ここでの音楽はピアソラのTocata Rea。Tocata Rea - YouTube

正直ここの場面はFancyDanceのTangoNoir(ペトルーシュカ)を思い出しながら観てしまった。改めてPiazzolaの音楽ってすごい力。
ぼろきれ被りから始まったスターはここでは蛇だ。宝塚ファンからしたら蛇といったら紫吹淳なのに?(BMBを通ってくると途端に主語がデカくなる)
しかし、これもGRAPHでご本人が意図している通り両性具有な印象で、獰猛さよりも惑う存在だ。ラストの幕切れが切なく、しかし狙い通りそのまま旅は続く。イメージ、マラケシュ※からフランスへ?
マラケシュ紅の墓標の蛇と、このサーカス団の雰囲気が少し似ている気がしたのだ。また、サーカスという点でエンター・ザ・レビューのピエロの場面なんかも彷彿とさせる。裏方青年の場面と併せて、なんだか酒井澄夫ショーをも思い出していたし、春野さん時代の花組をよく見ていた自分をメタ認知した。

 


鮮やかな夢の合間、現実芝居は一人粛々と

はい。(深呼吸)
中詰め幕開き大歓喜、天飛くん銀橋渡りありがとう!娘役連れてこの曲を歌ってくれるなんて!!!
ミシェルベルジェとフランスギャルのÇa balance pas mal à Paris。
※こちらのブログを拝見し、原曲の背景を知った。なるほど。全く詳しくはなれなかったが、学生時代、シャンソンにはまり地元の図書館で古いCDを借りていたのが懐かしく思い出されている。

朝倉ノニーの<歌物語> | パリでスゥイングÇa balance pas mal à paris


さて、こんな背景を踏まえて観たならば思わず客席で一緒にロックポーズ。しないか。るりはなちゃんの艶メイクが美しく、今回はお芝居といい輝かしいご活躍で嬉しい。
※ベアタ・ベアトリクスでのこの二人が好きだったので、並ばれちゃうとニコニコしちゃう。(夜明けの光芒も楽しみ)

今回のショーではつくづく登場がトップのスター(役割)のそれである暁兄さん。
DeepPurpleのHighwayStarでシャウト(録音だけど)しちゃうほどに。うん、今回は真っ向からスターで推していきたいものね。わかるよ。
それにしても、ベレー帽が可愛い。男役のベレー帽って斬新だけど夢が広がるなと気づかされた。また、星組来てからショッキングピンクとご縁のあるありちゃん。最高だね。
しかし私自身はベレー帽被るのが怖くなってしまったさ、タカラジェンヌと比べても仕方ないんだが心理的ハードルが……。
暁&舞空は(1789代役(ここ太字)・)ミーマイ後、トップコンビとはまた違う安定感が見て取れるのが良い。二人ともショースターで持ち味が割と似ている気がしている。なので二人が踊りまくると良くも悪くもまあ舞台が走るはしる俺達(古)。なので、礼さん登場とともにNightwishのGhost Riverでようやくショーの芝居というか時間が再び動きはじめる。そうしたくなるのも分かる気がする。

ひたすらこのショーの時間の中で揺らいでいる礼真琴=トップスターなわけだが、私はそんな普通だったり、「みんなのうちの一人」だったりする、きわめて人間的表現をする礼真琴がとても好きなんだけれどどうだろうか。(それでいて1789のお芝居は個人的にはハマらなかったというややこしさなんだけれども)
生半可な人にはできない、むしろ相当な力(Power)をたったひとりから感じさせてくれるという意味でも、今の時代に必要な気がする。

Lisztomaniaの中詰もやや尺が長い印象はあったが、客席降り含めて明るかった。仲間との連帯、客席含めた一体感。
その後女優さんは出てこない男役によるMisirlou。せっかくなので女優出してくれたらよいのにとは思った。しっかし極美くんの顔はオペラでのぞくと美しくてビビる。私がまだ慣れていないだけ?(慣れるとは)
若手男役で見せる場面としてはあまり変わり映えはしない印象だったが、意図しているか分からないが、前髪長すぎて文字通り振り乱すまたもや天飛くんから目が離せなくて困った。

 

楽しい時間は終わり?

さてお待ちかねキャバレーである。
舞空先輩の黒燕尾よ・・・!あやうく叫びたくなるところだった。
小さいお顔がハットに隠れてますます見えないけれど、指先一つとっても非常に美しい。はーかっこいい。流石蘭寿さん仕込み(?!)。
小桜さまの妖しい歌で天華舞空で踊るあの一瞬よ永遠なれ。何この人たちの色気。
後ろだって観たかったのに目が離せなかった。ぴーちゃん、本当にここまで頑張ってこられたのだなとしみじみ。正直舞台での存在感が下級生時代とは雲泥の差ではないだろうか。
彼女こそ一つの理想的な道の歩みだったのではと個人的には感じてもいる。本当に幸せそうだし、サヨナラポートが物語るその美しさ。今後も幸あれ!

さて、演出家がお辞儀をして、たち現れる泡沫の夢のような、女。
シャンパンは泡がなくなる前に、あっという間に飲み干すものであり、案の定その時間はあくまで導入なのである(酒好きというより位置づけとして)。けれどこの存在感こそポイントであるのだろう。あるとないとでは全然違うという点で。

ちなみに、男役スターが女役をすることは宝塚の一つトピックスとして存在し、結構な頻度で見られるものだが、個人的には嫌なときもある。
その理由は、見世物になる感覚だ。そりゃ舞台はそもそも見世物なんだけれども、その”見た目だけにフィーチャーされる”視線が嫌なのだ。加えて娘役がないがしろにされるような感覚も拭えない。


しかし今回のシャンパン様は意味づけがしっかりなされていて、とても好きだった。
身体は非常に(筋)肉感的なのに、反して存在は無に等しいと言っても過言ではない。ガツガツ歩いてはけるが、縋った脚の先から覗くその顔は無表情のように見えて……? まさに概念的な存在だ。

そして、これを暁さんが演じることに非常に価値があると私個人としては思っている。
というのも、暁さんの男役にはつかみどころのなさをずっと感じているので、この儚さというか「表情のなさ」はハマりすぎている気がしている。
RRRであんなに逞しい兄貴を演じていてもなお、この感想は揺るがなかった。

しかしこの場面も過去の宝塚の場面を思い出す。
HeatOnBeat!の椅子プレイ(大いなる語弊)だ。霧矢さん/桐生さんが椅子を抱いていたやつ。椅子のせいね。あの場面とリンクすることで官能的な印象が増してしまっている。勝手ね。
加えて、椅子がここで改めてちゃんと使われていることにも注目したい。何ならシャンパン様が目線で、足先で抱いてらっしゃるよね?(もう黙って)
それにしてもショートカットで鬘をいくつかご用意頂いているが、違う形もご用意いただいて良かったのではとだけぼやいておく。これ以上文句言うな。でも観たかったんだよ。

一人舞台に取り残された礼真琴によるダンスは追憶。これまで登場してきた人たちの振りを見つつ、主役は真ん中なんだなと改めて。手の振りが印象的だが手話なのかなとも思ったり、歌詞含めてメッセージが強いなぁと感じたり。中詰後の群舞として、非常に惹き込まれる一連の造りであった。うっかり時間を忘れる感覚は、まさに熱狂。

 

胸元の花から、最後まで駆け抜ける白

劇場を後にするフィナーレでは、まずカサブランカで君の瞳に乾杯。シャンパンはいかが?
豊かな歌声に加えて、華やかなりし日々で初舞台を踏んだ98期の見送りとして、大空さんの存在が感じられる曲は完璧と言わざるを得ない。後ろで踊る大輝さんがカッコよくて目を奪われる。続くロケットにもストーリーと緩急、そして文字通りな若手ピックがあり嬉しい。

 

そして近未来からThe King Must Dieと王自身が宣言する悲哀の大階段。
時系列を表現したくてあのサングラスなんだろうと理解しているが、視界が悪くなるはずなので怪我しないでねと老婆心ながら心配している。疾走感あふれる群舞は楽しいが。
それはそうとGOATからElton Johnが続く。偶然だろうけど痺れる。

 

デュエットダンスはフランシス・レイ白い恋人たち(Treize jours en France)にのせて。
この曲自体大好きなのだが、加えて今回の編曲も好き。グルノーブル冬季オリンピック大会の記録映画の主題曲であり、映画の中ではオリンピックの13日間とグルノーブルの熱狂と静寂とを朗らかに歌ったコーラスが云々~とも書かれている。wiki参照。
アスリートの限られた時間における熱狂と静寂。まさにこのショーのラストを飾るに相応しいってわけだ。

 

少し話は逸れるが、タカラジェンヌはアスリートであるとあちこちで評されることも増えてきたように感じるが、この世界に対して我々は”有限だからこそ”安心して応援できる部分があると常々思っている。
ほら、一生背負わねばならない看板に熱狂することって非常に恐ろしいことで、引退や卒業、「絶対に永遠なんてない」と知っているからこそ、美しくもあるけれどどこかで彼女たちの人生を縛り上げることもない自由がそこには許されている。本来、それは健全さとも言えるはずだ。
だからって好き勝手やっていいことにはもちろんならないし、全てではないだろうとしたうえで、本人たちの自由意志を尊重できる応援が存在しうると思うと、嬉しいではないか。

話を戻すと、ここで舞い踊る恋人たちは決して真っ白いわけではなく、黒も交じるお衣装が語る静寂。残された足跡、軌跡とは。たとえ雨の中だとしても、軽やかさを持ち合わせていたいと感じるステップだった。

 

パレード。ぴーちゃんエトワールからの天飛小桜パートが好きだ……と、今回お二人のことを好き好き書いてきているが仕方ない。そして、これは外せない。ありちゃんの大きな羽。壮観だ。
今回のショーの衣装では、プロローグとエピローグのお衣装の色味が好きだ。おそらく紫は菫、金色は幻とでも言うべきか。そして、白は王者の証か。
この世界の何処かに金色の砂漠があるというらしいですからね。勝手にオマージュさせるにも程がある。落ち着け自分。

 

とまあこんな感じで、指田先生の大劇場デビュー作品を堪能させていただいた。
想いが溢れ出て、こぼれ落ちたものを拾い上げるだけでまた一つ作品が生まれそうな、そんな作品であった。
先に述べたように、過去の宝塚作品をひたすら思い出されるような感覚に陥るのが不思議。それでいて、また観たよこれという飽きにはならない。
勿論宝塚の上演作品すべてを追いきれはしない私でさえもこんななので、ぜひ他の方の感覚もお伺いしたいものだ。


我が心の故郷への思いが共鳴したような、そんな感覚なのかもしれない。ずっとこの夢のような想いが、色褪せて朽ちることのないように祈る。