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あじわう

再演の謎、演者の妙 ~双曲線上のカルテ感想

再演のニュースを聞いて、例に漏れず驚いた。

 

私にとって、当時SMAPの中居くんの”役者”としての力を感じさせられたドラマが「白い影」であった。

ジャニーズ事務所の現在進行形の事件は許されないものであり、事実としてあったことをどう未来に向けて整理し、二度と起きないようにするのか。片時も忘れてはいけないし、過ちを繰り返さない思考を続けたいと強く思う。被害者加害者また両方である方々に対して、この事態を容認してしまったいち観客として、ちゃんと向き合いたい。

 

幼かった私の中で揺るがない印象を残した作品であった。が、中身はあまりよく理解していなかったと思う。ただただ、苦しく切ない生への渇望が、画面越しに伝わってきたことは、今でも強く心に残っている。

 

宝塚における本作の印象

宝塚での初演は、今は引退された早霧せいなさんの主演公演だ。
早霧さんは新人公演時代からとても好きな方だったので、本公演ももれなく観に行った。しかも1度じゃなかったはず。

 

初演の感想は、一言でいうとヒリヒリしていた。

早霧さんの細い体躯と美しく鋭い容貌も相俟って、世の中に対しての怒り、自分に対しての憤り。時期的なこともあっただろうと推測してしまう程度にはファンだったこともあり、全体を通して負の感情が渦巻いていて、舞台がとても痛かった。

反して、原作、そして演出面で、え、こんな酷い話ある……? ともやもやしてしまった記憶も拭えない。

まとめると、ビジュアルもキャラクタも嵌まってるかもしれないけど。ねぇ、と、そこで言い淀んで終わっていた作品だった。

(2番手格に信頼できる同期の夢乃聖夏さんが配されたのが、色んな意味で唯一の安心だった気がする)

 

kageki.hankyu.co.jp

 

そんな痛々しい作品がこの度再演されるとのこと。
主演される和希そらさんと早霧さんには共通点がある。

・男役としてはやや背が低いこと

宙組から異動して雪組に来られたこと

・時に天性、天然さも感じさせるような、丁寧なお芝居をされること(私の感覚だが)

ファンなら大抵思いつくことだけれど、そんな共通点を活かす作品としては正直弱すぎる。そんなことを思った。
なので、作品が発表になった後、演出の樫畑先生がんばってください……!と願った。
果たしてその願いは一定叶ったと感じたのが今回の再演だった。

 

揺るがない、腹立たしい物語

有り難いことに劇場で観ることができた。ブエノスアイレスの風以来の日本青年館ホール。駅からちょい遠いので汗だくだったが、館内がヒンヤリしていて上着を持って行って大正解だった。


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肝心の感想として、演者が変わろうが、時代は流れようが、どうにも「男のエゴだな?!」と怒り狂いたくなる気持ちはもはや抑えられなかった。演出の樫畑先生の努力も勿論うかがえたのだが、それ以上にやはり怒りが勝った。

 

第一、ヒロインがロリコン趣味の対象に見える「見せ方」であることが、私は嫌で許せない部分だったことを思い出してしまった。

主人公・フェルナンドの女性遍歴との対比を、天使と称されるヒロインの像を、分かりやすく打ち出したいのかもしれないが、それこそ若い女性の搾取じゃん! と、もう生理的に受け付けられなかった。

ヒロインを演じた華純沙那さんは、小柄でとても芸達者な印象を受けた。(唯一ナレーションがんばって~ってとこ位? そら君のファンだとも聞く。すごい強運!)

しかし、お顔立ちを見つめると、もっと大人っぽい役の方が光るのでは? なんてことも思いながら、何より搾取してしまう申し訳なさが(心のなかで勝手に)勝ってしまって、どうしても、可愛かった♡などという感想を書けない。

新人ナースという設定だからある程度仕方ないかもしれないけど、衣装だってもっとマシなセレクトが可能なのでは? 何あの安っぽい黄色いレインコート? やピンクのコート。

誇張でも何でもなく、本当にひまわりのような笑顔がとっても素敵なのだからこそ、太陽に向かって真っすぐに生きる”生命力”という点で、見せ方はもっと他にあるだろうと悔しくなった。

そういう意味でもデュエットダンスがあって本当に良かった。泣いちゃうよもう。(ドラマの竹内結子はロリじゃなかったし! とも言いたい)それこそ男のロマンなんだからとか言われたら張り倒す(キレてる)

 

子どもだってそりゃかけがえのない存在だろうけど、(ええ共感はするが)、第一この作中にシングルマザーと息子の描写をあちこちに散りばめて、ほら男って……と思わせたいのか?! 絶望じゃん。笑えない。

希良々うみさんと咲城けいくんは共に良い味出されていて、これからますます応援していきたくなったけれど、一人ひとりの人間として、己の意志で立ち、生きていくことを応援する描き方を求めたい。養育費はもらって良いし、認知だってしてもらった方がよい。

よい女って、都合の良い、聞き分けの良い女じゃない! はー。

※怒り狂ってかけなくなりそうだったから、何とか落ち着かせている声が漏れているだけなので悪しからず。

一旦作品に対するツッコミはさておき、演者のことを記しておこう。

 

タカラジェンヌに罪はない

主演のそら君。

この方は声が本当に魅力的で、変幻自在だなぁと改めて感じた。うっとりと台詞を聞いていてオペラ上げるの忘れちゃった、となるのがよく分かるというか。

今回はちょっと上擦った声で、タバコとお酒で焼けちゃった? なんてことも思わせるリアリティ。

影を背負った主人公だけど、悲壮感や絶望にそこまで包まれていなかった。どちらかというと諦念。赦しという言葉を使うのがとてもしっくりきた像だった。

また、無宗教というのを殊更強調する演出だけれど、生、そして死の前には人は等しくあるという中で、このフェルナンドは「どうやって死ぬか」健かに見定めている人だった。対する初演の早霧さんは、どうにかして生きた証を遺したいというヒリつきだったんだなあとも改めて。立場や状況もあるのかもなぁとつくづく感じる。

にしても、何故突然メガネかけてくださるのか。サービス、ありがとうございました。

一番好きだったのは、最期の最初、湖の底で沈んだような動き。無重力で、水にたゆたうそれは、指先・足先まで行き届いた、美しき死への踊りだった。流石の筋力と感性で、二階席だとそれはそれは堪能できて、良かった。

 

縣千さん。縣君が最初休演されたのは衝撃だったし、無事復帰されて安心した。

とにもかくにも、体躯(と表現したい)が良い!!!

学生時代、どんなスポーツされていたのかな。意外と武術系とかも似合いそうですけど、とか下世話なことを考えたくなるくらい、堅物だからこそ隠れファンがいっぱいいそうなランベルト先生。

ご本人は元気印のイメージがあるけれど、真面目なキャラクターが、持ち前の華やかさをもって、まあ目立つので、どっしりと存在感がある。アドリブにも軽妙に応えていて、頼もしさも滲んできた印象。

 

野々花ひまりさん。すっかり頼もしく美しい娘役さんになられて、と親みたいな感想だが、とても大事な役者さん。個人的には、ヒロインよりもこういう色の強いお役で存在感を示してくださる佇まいの方が好きな方かも、と今回拝見して改めて思った。

 

前述したが咲城けいさん。誰かに台詞の声が似ている……と思って全然思い出せないので、これからいっぱい注目していきたいなと思った御方なのだが、とても心惹かれた。夏美ようさん演じる父の面影を残そうとする見た目のアプローチや、芝居での母への対応が丁寧な役作りを感じた。ダンサーだとも聞いたので、今後のショーも楽しみ!(FrozenHolidayのポスターも出たなそういえば)

 

五峰亜季さんがお元気そうで良かったし、生き生きとお芝居されている印象でなんだかとっても安堵した。

愛すみれさんや杏野このみさん、久城あすくんの安定感は雪組の宝だなと思いながら、

眞ノ宮るいさんのトートダンサーのような風貌にドキッとさせられ(この役は絶対狙われているしその狙い方は好みではない。繰り返しになるがタカラジェンヌに罪はない)、桜路薫さんのお芝居が全編通して効いてて、チェーザレさんの人生を見つめていたんだなと思わされた3時間でもあったのは得難い感覚だった。

 

再演の真意

しかし、何故この作品を再演したのだ宝塚歌劇団よ。

今、ちょうど正塚先生に関する御本を読んでおり、彼が男役を通して見せていきたい社会の構造なんかを紐解いているのだが、もうね、正直この双曲線上のカルテとはまるで違う世界観じゃん!!!と思ってしまった。
でも、別箱で奇しくも正塚先生の作品である「愛するには短すぎる」を上演しているのだ。何を狙っているのだろうか。

しかし、愛するには短すぎるについても、あれは湖月わたるさん白羽ゆりさん宛書きでもあるはずなので、再演って面白いものだよなぁと思わされる。

それこそ読んでいる本の中で、湖月さんの時代から、トップ男役から主演男役、トップ娘役から主演娘役と、意図的に呼称が変わっていったともあり、ただのファン目線だけれど、新専科でゴッタゴタしていて、星組も色々あって、わたるさんが就任された背景なんかを思うと、フレッドのような人を描きたくなるんだろうなぁとしみじみ感じたのであった。

 

話はズレたが、再演により、観たい和希そらが観られたのか? これが一番の問題だと私は思っている。

皆さんは、とりわけそら君ファンは、どうなのだろうか。