just arrived

あじわう

Un Grande Amore?! Tootsie感想

前略、告白

突然だが、私は山崎育三郎さんの舞台姿に救われたことがある。それ以来、彼のファンなんだと思う。いや、ファンというのもおこがましい。しかし、大仰に言うならば私の心の恩人とでも言えるかもしれない。

思い返せば恥ずかしい位青い与太話。恋だの愛だの経験は決して豊富ではない人生の中で、当時お付き合いしていた方に自らサヨナラを切り出した時のこと。悩んだ末に自分で決めて行動したというのに、相手の反応と中途半端に残ったケーキを目にした途端空気だけでなく心臓の奥の方がぐっと重くなった昼下がり。いつか行ってみたいと思っていた有名店の評判のケーキは、途中から甘すぎて喉元につっかえた。その日の帰り道では、きっと恋愛に縁がないんだなどと嘆いていた気がする。なにこれエッセイ?(笑)
とにかく自業自得な割にむしゃくしゃしていたことは確かだ。そんなざわついた気持ちを抱きながら過ごしていた日々の中で、帝劇の座席に座った。

他の役者目当てで選んだ演目だったのに、終演後には完全にいっくんが演じられていた役に心惹かれていた。ちなみに作品自体は微妙な読後感だった。それなのに、あの役はいつまでも私の救世主として君臨する。とにかく、劇場で観られてよかった。

 

劇場で観て良かったと感じた思い出は、いつまでも色褪せていないようだ。きっと今回の作品、Tootsieも漏れなく該当すると思った次第。

www.tohostage.com

 

作品の意外性

話はだいぶ逸れたが、今作は漠然と抱いていたイメージとだいぶ違った。

あの山崎育三郎が女装?!ブロードウェイが舞台!となったら、ドタバタパワフルなアメリカンコメディを想定していた。

いや、その枕詞は誤りでなく正しい。しかし実際は、ぶっ飛んだキャラクタだらけの登場人物によって繰り出される、非常にシリアスでリアルな関係だった。すれ違い。そして切実な心情。もちろんコメディとしてのテンポの良さと間合いの難しいセリフの応酬、そして難易度の高い歌に圧倒もされた。しかし、何より難しい会話、コミュニケーションという表現の数々に溢れていた。

 

何と言っても終わりよければ

これ以降はネタバレする。
特に、私はレズビアンには”絶対に”なれないという意味合いでの「無理無理無理」の台詞はあれで良いのかと、観ながら手に少し汗をかいた。注釈もあるように、原作当時の言葉使いを残しているケースがあるのだという。ここが該当するかはさておき。

それ以上に何よりもラストシーンが良かった。
この帰結、かつ始まりのためにここまでの物語があったのだと、想定外だったからこその感動があった。こんなに前向きで素直な、それでいて現実的でもありつつ優しさが滲むラストシーンが待っているなんて、いっくんのドレス姿のニュース性だけでは想定しきれなかった。なんていうか、やられた。意外性っていいよね。

 

相手の愛希れいかさん、ちゃぴこさん演じるジュリーがその前にこっぴどく罵倒するからこそ最後が生きる。
男のあんたに女がこの世の中を生きる苦しみの何がわかったというの。

結構手酷いとは思った。でもまあ受けた仕打ちを思えば、爽快だった。
これを、ただの人であれば目を背けるだろう。しかし、その言葉の先にいる相手は、自分が愛したドロシーだったわけであり、きっとそんなマイケルであれば辛辣な言葉であってもきっといつか受け止められる日が来るのかもしれない。しかし、永遠にこないかもしれない。It depends on them. そして、解釈は我々の手元に。

罵声を浴びせることで終わるのではなく、その後ベンチに座っていたジュリーが座る位置を少しずらして、マイケルの座るスペースを示したこと。裏切られて失恋して絶望して。ジュリーの気持ちを思うと、はずかしさも怒りも容易に想像がつく。
けれど、そんな諸悪の根源に対して、またスタートラインに立つ余白があることを提案する。
そうね、優しさというぬるい言葉ではないのかもしれない。人としてひたすら真摯な姿勢に、この上ないカッコよさを感じた。
これが対話なんだろう。
地味で、やけに時間がかかって、正解の道なんて周りからは特段見えない。人間の不器用さを愛せるか?

ちなみにこのシーンは演出家の方が毎回泣いていたとラジオで言ってたよ、ワトソン君。(それはこの間の雪組)(聞きそびれたのでわざわざスポンサー企業ホームページにまで行って聴いた。ちなみにこちらから聞ける)そして、映画はまた違うシナリオとのこと。アマプラにはあったことを確認したのでいつか。

 

人と人とが向き合うこと。
相手の目で物を見ようとすることでしか人間同士の信頼関係は築けないのだろう。


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パワー溢れる俳優陣

昆夏美さん。昆ちゃんは最初登場シーンが少ない?と思ったが、非常に強烈な役どころ。何なら一番耳に残るクソ難しそうな曲を歌いこなしていた。凄い。

アンサンブル含め皆さんのクオリティが高かったのも心に残っている。歌も踊りもできちゃうの?へ?と、そのレベルの高さに結構びっくりしていたんだけれど、連れの友人も同じようなことを言ってたので、きっと本当に力あるカンパニーなんだと思う。

 

ちゃぴこさんは、まずジュリーがヒロインであることに違和感が働かない。低音で歌う曲も新鮮で良かったな。
しかし、この方は凛とした輝きというか、揺らいじゃいけないプライドのような、人間の一番大事な芯の部分を表現するのが本当に上手いなぁと思う。だから、いつもいつも「カッコいい」んだなと。一言で言うならば、爽快なんだ。ドロシーへの吐露も、前述のマイケルへの罵倒も、ジュリーとしての一貫性があって、愛しい。

 

最後に、主役のいっくん。いつもありがとうございます。ファンレターかな。
特に登場のマイケルは本当にもさっとしていて(まさかのStarsとは思えませんよ)(急に懐かしい話)うっかりしていると気付けないと思った。オーラって消せるんだ……舞台上で? 何を言ってる? という話。

実力があっても一方通行がゆえに仕事にありつけないマイケルからドロシーへの転換。見た目声色役作り、いっくんのドロシー像がすべての点で確立されていて安定感があり、とても見応えがあった。
マイケルは別人になることではじめて、役者として持っていた演技力を支える観察眼なるものが生かされてみんなの「救世主」ドロシーも生まれた。これは、別人になるという文字通りの行動、そして副産物として生まれた女性賛歌が主軸となり、それと並行して、絶対に自分にはなり得ない存在=他人と共に生きる、つまり人生を学ぶ荒療治。
これは偶然にも?特別な感情を抱きあうジュリーがあってこその変化なので、となるとやはり愛は偉大なのかもしれない。いっくんのルキーニもトートも拝見したなぁ。あ、やっぱりこれはファン?

 

マイケルを見ていると、力の持ち方次第で世界は大きく変わるんだと感じる。となると、これはちょっと言い方がまだしっくり来てないんだけれど、「性別を変えることのほうが簡単」なのかもしれない。赤い眼鏡が表していたものとは一体何なのだろうかと、ずっと考えたい。

※正直この手のジェンダーネタはもはや古い感覚でもあるという本国の感覚に少しでも追いつけたら良いよねヘルジャパン。大体いつの作品よ。40年前だった。なんなら映画の結末書いてある・・・トッツィー - Wikipedia
名作ベルばらをいつまでも越えられない世の中のまま令和なんねん……という話はまたどこかで。今日もどこかで偉大な作家さんがあの手この手で作品を生み出しているというのに。残された作品は、生き続けると信じて大事にしたいものだね。

 

 

余談 どこでも救世主

一時期より落ち着いたとは思うものの、いっくんは本当にあちこちでさまざまなお仕事をされているので、ふとした時に今も現在進行形で救われることがある。
皆さんも覚えがないだろうか。例えば、暗い夜道でSpotify聞いていたらアリナミンのCMは流れるわ、騒ぐ家人を黙らせるためにおじゃる丸を流していたらエンディングソングを歌っておられるわ、なんてこと。あ、あんまりおじゃる丸はmajorじゃない?
終わる。