just arrived

あじわう

雑記 私とあなたを知るには

あけましておめでとうございます

という言葉さえもはばかられるほど信じられない現実が次々と迫るお正月、いかがお過ごしですか。
穏やかとは言い難いこの状況、渦中の方々に少しでも安らぎの時間が訪れることを祈る。
勇んで献血したいのに極度の貧血な身が口惜しい。ただ微々たる金額で寄付はした。無事届けられますよう。


f:id:nonbach:20240316010936j:image

続きを読む

覗いた先に潜む闇と光 万華鏡百景色感想

遅ればせながら、千秋楽おめでとうございました。

 

こんな時に、と思う気持ちはなくはない。それと同時に、宝塚を観ること楽しむこと自体が踏み絵みたいになってきたなぁと、言葉を選ばずに書くのなら、そう思っている。

 

私は、時に月が欠けながらも光り輝き続けていたことに、敬意を評したい。なので、そんな思いで書いていると予め宣言してみる。

 

夜な夜な観劇の記憶を辿るように書き進めていたのだけれど、だいぶ寒くなってきた。秋になり、冬になっていく。月組の舞台の幕が下りるのと同じくして、私は風邪をひいた。体調管理はむずかしい。皆さまいかがお過ごしだろうか。

(しかし、こんな辺鄙な場所でも時折立ち寄ってくださるのかと驚いていたのである。だから、私自身、書きたいことを書いておくことを楽しもうと思う)

 

さて、前置きが長いが、ショーの話をしたい。

 

kageki.hankyu.co.jp

 

見た初感、観た初感

まず、世界観のあるタイトルだと感じた。
万華鏡というのは、今まであったようでなかったモチーフだと感動したのだ。

改めてみれば、万華鏡って宝塚の世界になんてぴったりなんだろうか。箱の中でだけで繰り広げられる儚さと美しさ。

そして、残された郷愁。

偶然にも縁日で「一つだけ選ぶ」という制約の元、数多ある対象の中から選ばれた玩具の万華鏡が今、家の片隅に眠っていた。

公演が始まるとなって、ここぞとばかりに手に取った。安っぽいプラスチックの音がカラカラと鳴る。なんてことはない仕組みなのに、覗き込むと思わず口が開く。(のは私だけではないと信じているのだけれど)そして、笑みが溢れる。

こんな不思議な世界が始まると言うのか。

とまぁ、始まる前からワクワクしていたことは想像に難くないのである。

 

いざ迎えた観劇日。

蓋を開けてみれば、The日本文化な風物詩である花火にもなぞらえつつ、絵巻物のように繰り広げられる。そして、歴史的な時間軸をもって展開していく構成。極めつけは演者に絶景かなと言わしめる、魂込められた言葉の数々。

 

鮮やかな日本(東京)が詰め込まれた刹那の時間、こんなの発想が天才すぎやしませんか。栗田先生のプロの視点に改めて感じ入るわけである。

しかしながら、このショーをみて何となしに浮かんだのは、「愚者は経験に、賢者は歴史に学ぶ」という言葉だった。(はっ、ビスマルクってドイツの宰相・・・)

つまり、歴史的な展開軸であることこそが一番のメッセージなのかもしれないと、少なくとも私は感じたということを最初に述べておこう。

 

*********

というわけで、気になったところだけを記していく。総じて読みにくいであろうが、御免。

 

闇と光の力関係

闇がなければ光には気付きにくい。このショーを経て、改めて思ったものだ。

むしろあんなに眩い舞台を見ていて、「舞台って暗い空間も表現できるのだなあ」と思わされたともいうべきか。加えて、ショーの前半と後半で闇と光のバランスが変わったように見えたのだった。

 

前半は闇とともに対峙する強い光の存在。

女郎の悲しみ、謎の伯爵(ロティ)の憐み(後述)、良秀の狂気※。

良秀が娘を焼いた炎は輝きを増して、まるで閾値を超えたかのように爆発し、中詰を迎える。

地獄変の最後、炎から暗転までの影の描写は、まるで映画のようだった。とても鮮烈な印象を残していたし、演じきる鳳月さんも的確なんだろう。

 

一転、後半は、光は闇に潜むが如く。もはや同化しているのかもしれない。(しかし、すれ違う常)

平成の初期はネオンサイン。けれど令和になるにつれ、どんどん色が失われていく。顕著なのは、渋谷の闇に輝く一点の光となる、海乃さん。

 

時代とともに、闇と光、そして色彩の在り方が変わっていった。

これはきっと良い悪いではなくて、示唆として意図的に作られ、メッセージングされているような気がしてならない。

 

※話は変わるが、渋谷の場面の余韻は、パッサージュの硝子の空の記憶にしか思えないのだけれど誰か共感してくれる人いないだろうか。
令和なのに、どこか懐かしいあの空気。そして、傘も万華鏡も円を描いているのが、憎いねえ。輪廻。

 

物語を見せられて

とはいえ、最初からワクワクさせていた己の心にピタッとハマったショーだったかと言うとそうではなかったのも事実。

正直初見では、あまりに知っている曲達が続いたことで、歌謡ショーなのか? 宝塚のショーって一体……? という気持ちになってしまったのであった。後半は特に音楽が駆け抜けていってしまって、今私が観ているものって何なんだ? と置いてけぼりになっていた。

しかしながら、回数を重ねることが出来たことで、観方が分かってきた感覚が生まれた。

 

そうか、これは、物語なのか。

 

いやいや前評判だってあるし、設定だって明示されてるじゃんと言われたらそれまでなのだけれど、

それこそBADDYのように、登場人物に通し名がなかったんだもの、というのが私のささやかな言い分である。

ある方が、バレエを観るようだと表現されているのを目にして、途端に解釈が進んだような、腑に落ちたような気持ちになった。

 

物語、つまり芝居なのだと思って改めて観ると、逆に中詰のFantasyでノリノリ宝塚的に楽しめるというあらまぁなんという不思議体験。

 

要は、私がショーを音楽先行で受け取りがちなのだということに気付かされたわけであって、デビュー作として創り上げられた栗田先生としては、そもそも宝塚のショーって? という疑義をファンに抱かせること自体が、ある種の成功なのだろうなぁとしみじみ思っている。

 

しかしながら、鹿鳴館の場面だけは正直、ここだけちょっと浮いていた印象を抱いた。

まあ、芥川を以て地獄変につなげていきたいという意味合いもあると思うし、月城さんの(謎の)金髪軍服姿はありがたいので文句は言わない。
言わない……いや、でもやっぱり音楽がここだけ異様にクラシカルで、あまりに西洋で、ちょっとゾワゾワした。

端的に言って、好きじゃなかった。負の感情が乗せられていたから。
あんなに上品な海乃さんがあえて歯を出して笑っているようにも見え、あれは絶対演出であり、総じて日本自体を皮肉ってるのか、どことなく性格の悪さを感じたのが気になってオペラグラスを上げられなかった。

 

ということで、ピエールロティを調べた。
無知だったので、お菊さんの話はなんとなくぼんやり知っている程度で、上記の通りふーーんと観てしまったのだけれど、日本への蔑視という点、まさにドンピシャだった。

ピエール・ロティ - Wikipedia


さて、ではなぜ「宝塚で」この場面が作られたのか。
花火師という設定からして、花火という作品のテーマには実は一番近い場面でもあるはずだが、日本賛歌には決して「ならない」。むしろ「外から見た時の異様さ」。

おっと・・・・? もしかして挑戦状なのか? そうかもしれない。

こんな風に、あえて見せた意図を考えるだけで何日も過ごせそうなので、ブルーレイ見ながら酒を飲もう。(知りたいわけじゃないからね)

 

見つめた先に「見える」もの

作品への向き合い方がわかってくると、見え方がだいぶ変わった。こんな体験自体初めてだったこともあり、改めて面白い作品だ。
ということで、見え方、次は視覚的要素の話をしてみる。

我々が万華鏡という名のオペラグラスを覗き込んでその世界を見つめているとき、演者もまたこちらを覗き込んでいると感じられたのが、このショーの複合的な視点における「構成」の醍醐味なのではないだろうか。


そのことを端的に表現したのが、前述の(私と貴女(演者)の)「絶景かな」であり、加えて、宝塚のオリジナル作品の面白さにも通ずる芝居とショーに共通する構図である。

 

ベルリンと東京を「見下ろす」演者たち。

ベルリンの街に灯る明かりと、鹿鳴館で見つめる花火。どちらも見つめる先には、闇を照らす光があった。(東ドイツではまだガス灯が残るとのこと。あら点灯夫さん!)


しかし、芝居では背中を向けて明かりを見つめる二人が、ショーではこちらを向いて花火を見つめていた。気になる。

そして、元来花火は見上げるもの。
となると、これは観客からみた演者そのもので、(1階席の客だけだよね、とか無粋なことは言わないで)まさに、敬愛する心を示していると思いたい。

万華鏡を覗き込むように、期待に胸を膨らませながら舞台を見ていたいものだ。

これからもずっと、ずっと。

 

また、連綿と続く「衣装の意匠」の引き継ぎが、このショーの”歴史絵巻的構成”に華を添えるように効果的に働いていたと感じた。

実に鮮やかだった。

 

今回のショーのキーカラーはショッキングピンクであろう。

中詰も然ることながら、花魁の着物、鹿鳴館のドレス、闇市のドンと娼婦達。

どこもかしこも同色が使われていたけれど、しかしこれもショーの前半まで。

平成令和となると、とたんに色彩が変わっていった。というか失われていった。(前述の通りである)

渋谷の鴉はあくまで象徴で、現代の色の無さ(※ダブルミーニング)は圧倒的だ。

 

しかし、フィナーレは、本当に空気ごと変化が生まれた瞬間だったと感じた。
大階段にライトがあたった瞬間。あれを劇場で体感できたこと、今もなお代えがたい経験だったのだと今更ながらに噛み締めている。


劇場全体が実に眩しかった。

鳳月さんの脚の長さが信じられない事実でもあった目抜き通り、それまでの灰色から一転、飛び込む紅の色。
やっと巡り会えた二人のデュエットダンスは2羽の鶴のようなめでたさ集大成ともいうべきか。金に紅白黒という、なんとも日本的色彩で締めくくられていたように思う。

 

ついでに、パレードにおいても拘りは続いていたようで、デュエットダンスと同じような娘役の髪飾りは水引モチーフ(と私は勝手にとらえている)だったのが新鮮だったし、海乃さんは花魁を彷彿とさせる簪を身につけ、これまた繰り返される(円/縁ともいうべきか)輪廻のようなものであるのだろうかと、最後の最後まで気が抜けなかった。

 

主演の力の強さ

さあて、ここからベタベタにファンしようかなと思う。


最初に言わせてほしい。今回も月城さんの滑舌の良さに感動。
開演アナウンスから最後の最後まで、明瞭。


そして、本ショーにおける私的No.1月城さんは、例に漏れず闇市である。(ドーン)(ギャグ……)

風間さんとの深いようであっさり切り捨てそうな関係性も痛快だし、あの一瞬の場面で伝わる人間性が面白いし、
なんていうか、うますぎるのだよ。人間を演じるのが。

ひょうきんなご本人からは想像もしえないお役を、どしっと迎え撃ってくださる感じがたまらなく面白い。
生きてる背景が見えてくる、人の芯が立っているとでも言うべきか。
あの洞察力は何なんだ。

嗚呼、男役で、宝塚の世界で、見たい役がいっぱいあるのだ。欲望は果てしないものでね。言うだけタダだから言わしておくれ。

 

そして、強さというのはただ単に上手いってだけではなくて(いやそれだけでもすんげえのだけれど)、終始デカい声の存在もある。

え、そこ? とお思いかもしれないが、本当に色んな代役をもってして皆で乗り越えて、それでもぶれずに真ん中に立たれていた、月城さん。
あまりにも強かった。想像しただけで涙が出るほど、ありがたい。
ファンだからこそこんな気持ちだけれど、でも組子だってきっとそうなんだと思う。妄想だよ。


守れる人は強いのだ。いうなれば、強さがないと守れないということを、こんな風に体現してくださるなんて。

しかし、その鍛え抜かれた強さも、月組のみんなのおかげだと御本人がまず考えられているわけで、周りを見て、こちらがそう思える(信じられる)ところまでがワンセットなんだよな。

 

大きな愛と感謝と、ひとえに尊敬の気持ちである。

 


f:id:nonbach:20231201220435j:image

 

余談:博多と東京の距離はいかほどか

ここから先はさらに輪をかけて馬鹿なこと言い出すよ。覚悟はいいか。

 

お気づきの通り、10月は博多座に行きたくて行きたくて仕方なかったけれど断念せざるを得なかった身であったので、
点灯夫のピカピカが僕のアーミンに見えてくるし、
冒頭記した見上げて・見下ろしての関係には、ふとサンドイッチのハムみてぇな感想も持ってしまうし、心は忙しなかった期間だった。

(でもさ、今はそんな忙しなさこそ幸せなんだよねえ・・・)

博多座が無事幕を降ろすことになって、良かったねぇとほっこりしていたところに、さあ!聞いてよ!(書くよ)
博多に行きたくて博多明太子おにぎりが大好きな風間さんのアピールがぶっこまれた身にもなってほしい。

ああ、ぜひこちら拾ってほしかったです中井先生。でも拾えないよねとも理解。

ここは難しい球でも打ちこなす風間さんのブレなさを愛したいと思った所存である!(いきなりどうした)

 

何いってんのか分からんが、終わる。

 

タカスペがなくなったって、つながっているんだって信じている。

信じられることだけ信じる。今までもこれからも、それだけだ。

 

信じるに値する、それだけのものを見せてもらってきたと、私は信じている。これもまた輪廻。

 

しかし問題はある。そこは視線を反らさず生きていきたいし、やはり変わらなくてはならない局面だとずっと思っている。

だってせっかく生きているのだから。

雑記:寄せては返す 思いを抱えて

先日の訃報に触れ、改めて哀悼の意を表します。

そして、特に側近く生きていらっしゃる方々の、深い悲しみをお察し申し上げます。

 

 

瀬戸際に立つ劇団と、そこに属する方々に対する(のかは分からないが)いちファンの心の内を残しておこうと思う。

 

続きを読む

恋には意外な所で落ちるもの~月城かなとさんへの道程と感謝

まっすぐなタイトルにした。
このブログを作ろうと思ったきっかけとなった、月城かなとさんの存在を思ってのエントリであるからだ。

こんなファンの道程もあるんだなと、自分自身のために書く。

▶最初のエントリ参照:「今夜、ロマンス劇場で」を劇場で見る意味 - just arrived

 

私は彼女から目が離せないんだと気付いてから、私の何度目かの(気持ちだけは)宝塚を中心に生活がまわる時間が始まった。

 

とはいえ、私にとって不思議なスターさん※なのである。
※私をよく知る友人からはれいこさんが好きと伝えるともれなく「意外」と言われた。自分でも実はそう思っているほどだ。

というのも出会って最初からビビビと来たわけでもなく、その道程はゆるやかだった。けれど、今なら断言できる。着実に仕留められてしまったのだ。

ちなみに宝塚はゆるくそれなりに観ているのに対して、彼女から目が離せないと気づくのは相当遅かったと思っているし、諸手を挙げて応援できていたかというとそうでもない(→整理のためにも後述する)。

 

前置きが長くなったが、彼女へお伝えできるならば、ただただありがとうございますという気持ち、それだけなのである。
今の月組の充実っぷりは「観れば、分かる」。本当に素晴らしい彼女の仕事っぷり。

 

何を隠そう、ムラで華の95期の口上とロケット※を観ているのである。我ながら良い仕事をしていたと褒めたい(笑)

※ちなみにムラで初舞台公演を観ている期は91期と95期、100期に限られる。れいこさんの退団公演も初舞台公演。縁だなあ。

『薔薇に降る雨』『Amour それは・・・』 | 宙組 | 宝塚大劇場 | 宝塚歌劇 | 公式HP

95期の場合、大和悠河さんファンの友人と当時つるんでいたこと、私は陽月華さん蘭寿とむさんが好きだったこともあり、主演お二人の退団公演を見守りにいく目的が半分。加えて、親友の幼馴染み(以降知人とする)が95期ということでの応援目的がもう半分。

一言で言うならば、ロケットめちゃ難易度高くない?! ということ。今思うと精鋭の集まりだったからかと非常に納得。が、ここでは私にとって月城さんはあくまで初舞台生のお一人だった。

 

月日は流れ、上記の知人が雪組に配属されたこと、加えて当時のトップスター水夏希さんに母がお熱だったこともあり、自然と雪組もよく観劇していた。続く音月さん、壮さんの時代を通じて、年次も上がっていった95期。私の中では月城永久輝、通称れいこひとこ時代が到来していた。完全なるニコイチ。いずれどちらかは組替えするだろうなぁと思って見つめていた若手スターコンビである。(好対照:朝美暁)※

※皆みんな、古巣から飛び立つことないじゃない…

 

私にとって、壮さんとれいこさん、早霧さんとひとこちゃんにそれぞれ師匠と弟子の関係性ならびに持ち味の共通項を見出していた気がする。

ひとこちゃんはあまりに早霧さんラブの矢印を示していた気がして(笑)、当時はれいこさんは綺麗だけどイマイチ掴みどころがない印象で、何なら怖いと思っていた。壮さんは竹を割ったようなお人柄で、人となりを開示してくださっていたことも相まって、とにかく怖かった。何を考えているのか、ともすれば切れ味の鋭いナイフのような。今思うと、観察眼の鋭さだったのかもしれないが、見えない殻もあったのかもしれない。そのため、雪組のひとこちゃんが、とても明るく華やかな印象で私の脳裏に焼き付いているのは、隣のれいこさんの存在によると思う。

加えて、特に主演した新人公演の役の印象もあるだろう。ひとこちゃんはルパンや剣心、対するれいこさんは地味なサラリーマンと日本物(とあえて書く)。裏を返せばれいこさんはまさに芝居力の象徴な訳なのだが、ライトなファンの印象だとこんなものだ※。

※今の舞台はどうか。完全に「われここにあり」の舞台である。真ん中でこんなに求心力があり、裏切らない舞台に出会わせてくれる。そんなスターになられるとは。これはひとえにご本人の努力の賜物であろう。他のファンの方も言及されていたように、派手な役付きで上り詰めたとは言い難い道程を、確実なものに変えていかれたその力に、本当に平伏す思い。

※昔むかし小池先生に、君は派手な方ではないからがんばれ(大意)と言われた話があったと記憶する。血の滲むような努力が容易に想像できるところが本当にプロを感じる……怖いというよりおそろしい。

 

そんな私が勝手に抱いていた漠然とした(今思うとネガティブ)イメージを払拭することになったのが、日本物の一つ、星逢一夜。の、新人公演※。お芝居もさることながら、心動かされたのはご挨拶だった。

kageki.hankyu.co.jp

※shall we〜も前田慶次も、新人公演は劇場で観られなかったので割愛

今まで、(あんなに美しいのに!)意外に地味で、ちょっと怖い印象がここで一気に和らいだ。退団する同期に触れるくだりなど※、こんな方だったのか……とびっくりしたのだった。 

※その方こそ知人なわけで、彼女のお陰で本公演は千秋楽を含めて何度も何度も観劇させていただき、本当にどこでどのようにつながるか分からないのがご縁というものである。まさかうっしーにこんなにも心惹かれることになるとは。

 

その後、因縁の正塚先生作品を最後に、組替えを迎えられる。

ようこそ月組へ、というスタンスで改めて贔屓組目線で注目することになった。

kageki.hankyu.co.jp

初っ端のAll for Oneでは、階段降りがもはや大スター天海さん※のような風格じゃ……と大変ドキドキしたことと、フィナーレで御曹司ありちゃんとめちゃめちゃ楽しそうにしていることを昨日のことのように覚えている。

あれは、御本人も会見で触れられていた組替えへの思い、所謂”気概”の表われなのだろう。(前者ね。後者の楽しそうにしていたのは優しいお姉さんなれいこさんの表われかなと推察)

※宝塚時代の天海さん、なぜか黒髪ロングイメージなのである。

 

とはいえ、珠城さん時代は私生活も転機が重なり、コロナ禍もあり、その他色々あって(と濁す)、あまりちゃんと観られない時代が続き、かろうじてBADDY(カンパニーは観た記憶が?)(おい)までは観たものの、大劇場での観劇はなんとWTT/ピガールまで飛んでしまう。なんてこと!

※全て映像で遡るなどしてチェックはしたけれど、やはり気持ちは違う、、、

てなわけでファンの割に相当な空白の時間があるのだが、WTT/ピガールは友の会が色んな所で友達になりすぎてくれたことにより、結構な回数観る羽目になったという嬉しい不可抗力に見舞われた。

まさかこれが運命の分かれ道になるとは露知らず。

 

WTT/ピガール。

kageki.hankyu.co.jp

ありちゃんという人がいるのに(ほんと誰だよお前)色々重なり中々観に行けなかった時期が続いていたのだが、しかし、前述の不可抗力のおかげで、すっかりファンに舞い戻ることができたのだった。

f:id:nonbach:20230927100710j:image
思い出ぽろぽろ

 

本当に楽しかった。元々日本物ショーが好きというのもあったのだが(今度の大野先生のショーもとても楽しみ!!!)、ピガールも中々に良かった。ありちゃんが、こんな時代になってもダンサー役していて、これだけは別の意味で泣きそうだったが、風間さんの存在に惚れ惚れしてしまったのもこの作品。そして、何より、公演が終わってから気づいたのだ。
月城さんの演じるおじさんがべらぼうに魅力的だったということに。

 

先に断っておくとタカラジェンヌの髭にめっぽう弱いこの私。

知らず知らずプルミエールの映像を見させてもらったり、カフェブレイクを見たり、歌劇にGRAPH、刊行物をちゃんと読むようになっていった。

生活の中でじりじりと、行動における宝塚割合が増えていったことで、あぁ、私、この人のこと好きなんだなぁってゆるやかに気付かせてもらった。

 

それにしてもシャルルおじさんのどんなところが魅力的だったかって? うーん、変なおじさんなんだよね。ロングトーンも面白かったし凄いなとは思ったけれど、一番は、包容力。

珠城さんを物理的にのみならず大きく柔らかく包みこんでいた、あの男役の纏う力に今思えばガツンとやられていたのだろう。なんならヒロインが珠城さんでもあったので、実質主演男役だったからなのかもしれない。真ん中がこれほどまでに似合うとは。(2回目)

嗚呼、また髭役を観たかった。ねえ、どこかでバトラーやらないか?(ここでも言う)

それぐらい、男役のお芝居としてまだまだ観たい役が沢山あるのだ。ファンとはつくづく欲深い生き物だ。

 

そして、桜蘭記/DreamChaser。

kageki.hankyu.co.jp


二番手最後の舞台は、上田先生が月城さんに明るく感情豊かな人間的な役を宛て書いた。このことは、とても印象的だった。BADDYのポッキー巡査も、最後に二面性は見せることも含めて、非常に人間的だ。なので、先生の中での月城さん像なのだろう。血が通っている印象。私が抱いていた下級生の月城さん像とは真逆。役者・月城かなとの持ち味なのかもしれないなと、そんなことを思いながら観ていた。

周りを見て、心を動かし、生き抜く。舞台で躍動し生きることは、空気を動かし、司ること。それが出来る人なんだなとしみじみ観た。作品の中でも、最後まで生き抜く、どこまでも救いであり、進む存在だった。

 

そして満を持してのトップスター就任。その後は書きたい作品について個別書いているので、ここでは割愛する。

振り返ると、博多座の番宣の映像が出た時は何度も繰り返し見た。素敵だな、始まるんだ、わくわく。そんな気持ちでふわふわした時間を過ごさせてもらった。そんな綿菓子みたいな甘い思い出は、この先何回もないと思う。ありがたい。

 

退団会見が開かれた。トップスターだけの特権。ありがたく情報をさらった。
5作と決めていたことやギャツビーの時と明言されたこと、質問への対応力、気持ちの持ちよう、仕事への向き合い方。どれもこれも、私が見つめてきた”れいこさん”なのだなぁと、こんなときにまで、いやこんな場面だからこそ感動した。

(一つツッコミたいのが、相手役へ退団の意志を伝えるタイミングと対する回答のスパン。個人的には凄いことになっていたなと思ったのだけれど、イチ人間として相応の振る舞いをしただけだと思ってるかもしれないな、などと妄想の余地があっておもろいエピソードであった)

 

ちなみに、ギャツビーの東京千秋楽は配信で観ていたのだが※、あまりに満足気な言葉を吐くので、これはいつか来る退団発表の時に思い出すぞと思っていた。まさかドンピシャだったとは驚いた反面、納得度は高かった。私も意外としっかりファンしていたんだな、などと自己満に浸る。

※参考:

nonbach.hatenablog.com

 

この人の紡ぐ言葉に心底惚れてしまっているので、ご挨拶は毎回ワクワクしたし、時に雑誌などのインタビューの言葉を、仕事で悩む時などに手元で書き留めたこともあった。記事で紹介されていた、ありちゃんや風間さんの支えになる言葉を送っていることにも納得であり、改めて本当に「よく見ている」人だなと、その洞察力と言語能力に感嘆する。

また、自分と相容れない対象に対して、高度なコミュニケーション能力を以てしかし辛辣に対応される、人として揺るがない軸・信念が会見でも表れているようで、好きだった。(全部好きじゃんね)(そうだよ)

 

正直にいうと、この人の紡ぐ宝塚での物語という大きな嘘に、本当はもう少し騙されていたい。そんな気持ちで今はいる。

 

大劇場5作。
数の大小ではなく、月組トップスターの役割としての道程に一分の隙もない。

まだ見ぬ宝塚最後の舞台もきっと、いつも通り仕事を全うされ、男役・月城かなとの壮大なパズルのピースは埋まるのだろう。それが大いに予見されることから、何かが”足りない”というのも断じて違うと確信している。
しかし、彼女の舞台が、お芝居が好きで、私は今、彼女の「男役」の芝居が好きなのだ。(それ以外は観たことないのだ。観れなくなるということと、不可逆的なのが辛い)

恋に落ちた、その包容力。※

※かっこいいと浸るような、これまた一つピュアな気持ちはこれっぽっちも(私は)湧かないのがまた不思議。


特にトップスターのお芝居は、相手役によって変わる。
佇まいも男役像も何もかも。だからこそ、完璧なトップコンビを演じてくださった一方で、完璧じゃない面をどうして見せてくれなかったんだろう、と悔しい気持ちがどうしたって滲まざるを得ない。

私の愛する彼女の(彼の)包容力は、ご本人も望んだかどうかは知らないが、“見慣れた”盤石な体制によってのみ発露され、まだ見ぬ、不安の入り交じる、特有の緊張感ある関係性の上には結局成り立たなかったことへの切なさをどうにか綴りたかった。

 

月組に異動してから、結局海乃さんとしか組まなかったれいこさん。相当な頑固者だと思ってしまう。結局、れいこさんがうみちゃんに添い遂げたんだとしか言えない。言えないのだけれど、もう一人の私から言いたい。

自分が想定しない”顔”というものをこちとら見せてほしかったのだよ!!
(でも、どうやったら見られたのか、考えても考えてもその道が見えてこない、そんな答えを会見にて示されてしまった。お相手は何枚も上手(うわて)だという確たる証拠だ)

 

閑話休題

会見の言葉は、どれも残しておきたくてスクショだらけなのだが、その中でも「組替え」に対する考えは、非常に現実的かつシンプルで好きだった。

ゆるーい月組ファンとして生きている私に刺さる存在になられる由縁に触れられたし、何より組替えしていった方々へのエールでしかないというところ。ひとこちゃんもありちゃんも、残された頼れるスターさんであるのでね※。(勿論、月組の皆さんは大前提だが)

※トップスターロングインタビューでも、組替えするありちゃんに触れてたなぁなどと思い出す。本当にこの方は。また、組替えという節目をどう捉えるか、和希そらさんを思うと胸が抉られるような気持ちにさえなる。タカラジェンヌお一人ひとりの選ばれる道そのものを応援していきたい。

 

 

なんだか一部悪口になっていたかもしれないが(不快に思われたら申し訳ない)、結局は惚れた私の完敗だ。

こんなに客観的に物事を俯瞰して捉え、観察眼を持って人の感情の起伏を演じる表現力がある方はいないと思っていたし、改めて視座の高さが会見で発露されたように思える。役割意識もさることながら、もっと長い時間軸の話の目線。
そこまで自然に、それでいて計算しつくしていたら、正直突っ込みどころはない。なので、ただただ気の赴くまま、整理をした次第である。

 

 

ご本人も認める変なおじさんきっかけで、その魅力に気付くまでの道程は短くなかった。

もっと見つめることができていたら、もっと楽しかったのかもしれない? 

でも、やはり、気付いた時がスタートでしかないと改めて分かった。そして、私にとって月城かなとさんは、確実にここ数年の私の心をめいっぱい元気にしてくれた、ビタミンみたいな人なのだということも、ここまで書いてきてやっと咀嚼できた気がする。

私の世界が、彩りに満ちた。宝塚歌劇が、私にとってのロマンス劇場になる、そんなきっかけを再び与えてくれた人。

 

ご卒業の発表、そして丹精込めて作りあげられた舞台を、ありがとうございました。

自らの言葉で丁寧に紡いでくださったメッセージをしばらく噛み締めつつ、精一杯の感謝の気持ちを込めて。

最後の日まで、どうか健康に邁進できるように祈る。願わくば、天の川を渡る織姫と彦星の姿を探すように、そのお姿を垣間見させたまへ。

(できたら一回じゃ足りないので、何回かがいいな)(運を貯めるぞ!)

 

※追記

会見をニュースで拝見した。

あんなに清々しく、もはや楽しそうに(!)お話されているとは思いもしなかった。にこにこじゃんね。(比較するわけではないが前任の珠城さんの涙姿とのえらい違い)

改めて、この時間さえも「月城劇場」なのだなと感じた。にやりとほくそ笑むような、そんなミステリアスさが滲んでいて、言葉はアレだが、安心してしまった。

 

タカラジェンヌさんには幸せでいてほしい。

アナスタシア 過去への旅から未来への日々になるまで

失われた時を求めて”はプルーストの長編大作であるが、その表題の言葉を彷彿とさせる物語だなあとしみじみ感じたミュージカル「アナスタシア」。

失ってはじめて尊さに気づく愚かな私たち、人間。自分で滅したのに、求めてしまうことさえある。そして、そんな世界は至るところに溢れているのだった。

ハッピーエンドの余韻に滲む切なさが、いつまでも残る舞台だった。

 

www.anastasia-musical-japan.jp


f:id:nonbach:20230922235856j:image

これはどうやって撮るのが正解なのだろうね

 

続きを読む

再演の謎、演者の妙 ~双曲線上のカルテ感想

再演のニュースを聞いて、例に漏れず驚いた。

 

私にとって、当時SMAPの中居くんの”役者”としての力を感じさせられたドラマが「白い影」であった。

ジャニーズ事務所の現在進行形の事件は許されないものであり、事実としてあったことをどう未来に向けて整理し、二度と起きないようにするのか。片時も忘れてはいけないし、過ちを繰り返さない思考を続けたいと強く思う。被害者加害者また両方である方々に対して、この事態を容認してしまったいち観客として、ちゃんと向き合いたい。

 

幼かった私の中で揺るがない印象を残した作品であった。が、中身はあまりよく理解していなかったと思う。ただただ、苦しく切ない生への渇望が、画面越しに伝わってきたことは、今でも強く心に残っている。

 

続きを読む